Crypt Scrypt

monogoto

Log 0004 - Grave

 八王子霊園にある父の墓参りにいってきた。亡くなったのは、4年前だったが、墓が決まるまで時間が掛かった。墓が決まってからも、コロナ騒動で納骨の時期が遅れてしまったので、ようやく今年墓に入った。命日は都合が悪かったので、今日、母と一緒に行ってきた。晴れていたので、線香が尽きるまで、持って行ったシートの上で時間をつぶした。眠気が襲ってきたので、しばらく横になっていた。不謹慎な態度かもしれないが、父は気にしないと思う。それほどお堅い人間ではなかった。葬式の際は、さすがに気を使ったが、数少ない宗教的な儀式なので、やはり特別な感覚ではあった。

 

 死後の生を信じてるかどうか問われたら、おそらく信じてる、あるいは無になるということを信じてはいない。しかし、信仰心と呼べるようなものか、微妙な気もする。別に実証主義的な精神を否定する訳じゃない。ただ、死後生を頑なに否定する人にあまりあった記憶がない。存在証明に関する議論ならば、そういう意見にも出会うのだが、どちらかというと、その手の議論はよそ行きマインドで行われる気がする。おそらく証明すること必要をことさら感じてない。拒絶されるような局面自体があまり無いからだろう。

 「葬式仏教マインド」は、日常的な次元であっても、何らかの機能を果たしていると思われる。葬式や墓参りの時だけ機能している訳ではない。穢れに対する観念が意識せずとも常に働いているようにだ。アニミズム的な感覚や呪術的な思考は日常的に生きている。鞄につけている人形の類すら、ひょっとすると、スピリチュアルな感覚と繋がっているかもしれない。もっと平易な言い方をするなら「感傷」と呼んでもいいかもしれない。

 

 怪談には、呪いの人形というモチーフがよく出てくるが、人形に魂を込めることは昔から続いてきた風習であり文化だった。最近、「ヒトガタ」について調べているのだが、ロボットとの関連で掘り下げてみたいテーマではある。そのうち、アンドロイドに悪霊が宿るという都市伝説が出てくるだろう。最近、ロボットについて調べているので、ヒトガタについても、その時触れようと思う。