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monogoto

Log 0002 - Obit

 アントニオ猪木が死去。特にプロレスに興味があったわけでもないのだが、キャラクターの濃い人だったから、印象には残ってる。闘病生活を送っているのは知っていたが、逞しかった人物が見る影もないほど瘦せ細っているのはやるせない。

 4年前の今日に死んだ父もそうだった。背丈が高いわけでもなかったが、がっしりした身体つきだった人が癌の進行で骨と皮のようになっていくのは、見るに忍びなかった。家で最期を看取れたのは良かったと思う。兄が帰省していた時だったので、タイミング的には悪くなかった。母も介護で疲れていたし、認知症に陥ることもなかったので、それは救いだったかもしれない。

 死ぬ前日だったか、立ち上がろうとして自分を呼んだが、己の足で立つのはやはり無理だった。「生きているのがもう嫌だ」と口にしていたと、母から聞いた。外をほっつき歩いていることが多かったので、好きに出歩けないのは辛かったのだろう。死ぬ数カ月前から一人で歩けなくなっていたから、車イスで出来るだけ外に連れ出してあげればよかったと思う。まあ、もう手遅れである。

 当時バイトをしていた会社で社員に誘われていたのだが、父の介護を考えると就活もしづらかったので、正社員になった。そして、就職したその日に父が亡くなった。安心したのかどうかは知らないが、眠るように息を引き取ったのは覚えている。「死の瞬間」を判別出来たわけではないが、二度と立ち上がれないと悟って、「生」を手放したのではないかと思う。「力尽きた」というより、その方がしっくりくる。惨めな寝たきり生活を送るくらいなら死んだ方がマシだと思ったのかもしれない。

 本人は長生きするつもりだったらしいが、胃潰瘍で何度か血を吐いているのに、不摂生な生活をしていたので、82歳まで生きられたのは決して早い死ではなかったと思う。普段は意識しないが、こうして書いていると、寂しい気持ちになる。

 

 訪問介護の仕事をしていた時、初めて行った家で、利用者の男性の具合が悪くなり送迎の予定が変更になった。そのまま亡くなったのだが、一緒に行った女性がオムツを替える時に嫌がっていたのが印象に残っている。恥ずかしく惨めな気持ちだったのだろう。もっと酷い状況の人も見てきたし、うまくできないことも沢山あったのだが、自分自身、一番辛い時期も経験することになった。

 心を病んでいたのだが、酷い時は一晩で数回金縛りにあった。睡眠中、自分の首を絞めたこともある。目覚めた瞬間、目の前に顔があったような気もするが、そこまでハッキリしてないので錯覚だったのかもしれない。とはいえ、当時の精神状態は、悪霊の実在を信じる気持ちと虚無感や猜疑心がごちゃ混ぜになっていたので、冷徹に突き放し見方をする気にもなれない。

 そもそも介護の仕事をしていると、おかしくなっている人など珍しくもない。自分自身、何かが引き金になっていたら、自殺しても不思議じゃなかった。介護の仕事をやっていたのも苦痛の種になっていた。限界を感じていたので、結局、やめることになったが、「死ねない」という気持ちに従うならば、賢明な判断だったと思う。

 

 時々、父が見守ってくれているのかどうか、考えることがあるが、正直よく分からない。それほど、信心深いわけでもない。心が弱ったり、病んでいると、スピリチュアルな事柄に吸い寄せられることもあるのだが、信仰と狂気の間に明確な線引きなどない。「信教の自由」は法概念だが、「自由思想」と信仰は基本的に相性が悪い。そして、人は理性の容れ物ではない。

 父が死後の生について、どう思っていたのか聞いたことが無いが、それほど懐疑的だったとは思わない。病的に信仰に嵌るようなことはなかったが、合理主義的な人ではなかったからだ。父については、そのうちまた触れるかもしれない。

 

 今日は何の日か調べる時、著名人の誕生日はチェックしているが、忌日までは調べてこなかった。単純に面倒だからそこまでやる気にならない。というのが理由ではない。死の意味がよく分からないからだ。そういえば、コロナ禍で若い女性の自殺率が増えているらしいが、絶対避けられない運命だったのか、考えてしまう。

 「忌日」という響きは穢れた印象を生んでてしまうが、本当に忌まわしいのは死ではなく、行き詰ってどうにもならない生である。苦しんだからこそ、生き直したいと思う。