Crypt Scrypt

monogoto

Log 0005

 はてなブックマークは結構前から使ってる割に、リンクだけ貼ってそのまま利用しないことが多かったが、こちらのブログを使うことにしたので、過去の登録をチェックしつつ整理していこうかと思う。すでにリンクが切れてるものも多い筈。

 

 今年の頭から、意識的にライフスタイルを変えようとしているのだが、具体的にやることを決めておかないとなかなかうまくいかない。ルーティンの数をあまり増やしてもこなせないことは分かっているが、整理する時間を作らないとごちゃごちゃしてくる。

 時間に余裕があり過ぎると、時間の配分を間違ってしまう。一つのことに集中して他が手つかずになったりする。ただ、フォーカスすることを決めておいた方が、結果的には色々こなせるようになると思う。

 

 行き当たりばったりにモノを作ってると、未解決な課題に突き当たる。三次元CADを習っていたのだが、総合課題の際に設計を担当することになった。チームの発案・企画が自分だったからだ。

 曖昧なところが残ってると、モデリングを詰めることが出来ない。3Dプリンタの精度や時間的な問題もあって、試作や検証がなかなか行えなかったのもあるが、強度上の問題で寸法の変更も増えた。

 結局、最初に想定した寸法と大分ずれてしまった。当初の予定では、プロトタイプを作った後、ブラッシュアップして全体のサイズを調整するつもりだったのだが、時間的な余裕が無かった。

 2、3回作れたならば、色々効率のよい方法を思いついただろう。人体模型を作っていたのだが、いずれ、もっと洗練されたものを作ってみたいとは思う。その為に、解剖学とロボット工学を学ぼうと思うのだが、アンドロイドに関する小説を書こうと思ったのもそれが理由だったりする。

 

 ロボットが登場するSFは、数えきれないほどあるだろうが、特に詳しいわけでもない。理屈っぽい書き方はなるべく小説から取り除きたいので、ブログにでも書こうと思う。まあ、検索すれば、簡単にひっかかるような内容でもあるのだが、少しだけ触れる。

 「ロボット」という名称は、1920年に発表されたカレル・チャペックの戯曲『ロボット R.U.R.』に登場する造語なのだが、本を読めばわかるように「機械」ではなく、人間そっくりの「生体」である。一般的に流通している「ロボット」のイメージは、金属製な機械だろう。チャペックの著作が、芝居のポスターになった時、機械的なイメージが描かれていたので、誤解が広まる原因になったとは考えられる。

 「ロボット」の名称はチェコ語の「強制労働」や「苦役」を意味する「robota」をルーツにしており、作者のカレル・チャペックが兄のヨゼフに相談したところ「robot」になったという経緯がある。wikipediaにもここら辺の経緯が詳しく書いてあるが、細かいことはとりあえず置いておくとして、概念としては、「労働機械」というコンセプトがあらかじめ埋め込まれている。

 生殖能力や感情といった人間性を奪われた存在として生み出された存在が「魂」を与えられることによって、人類に対して反乱を起こすに至る。この話の中で人類は虐殺されるのだが、自分たちを製造する技術を知らないロボットのまた滅びの道を辿るようになる。最終的に2体のロボットに運命が託されて幕が閉じるのだが、カレル・チャペックは、近代的労働がもたらす人間疎外への批判を込めてこの作品を書いたらしい。ひょっとすると、最初の意図からずれた作品になったということは無いだろうか?作者が考えた役割に対して、「ロボット」が反乱を起こしたと仮定するのも面白い。

 未だに「ロボットの反乱」というモチーフが執拗に繰り返されていることを考えると、模倣とか伝統というより宿命的なものがどこかにあるのかもしれない。「呪われた人形」がホラーから無くならないように。

 

 産業用ロボットが登場したのは1960年代のユニメーション社が開発したユニメートが最初だとされているが、日本だと川崎重工(旧:川崎航空機工業)が技術提携先となって、その後市場が広まったとされる。日本は産業用ロボットの普及率・稼働率は世界一だとされているが、モノづくりを支えてきた自動車産業が今後どうなるのか分からない。EVカーに関してはインフラ面ですでに出遅れてる。これはもう、業界というより政治の問題になってくる。

 それはともかく、「労働機械」というコンセプトは、フィクションから抜け出して、産業ロボットに引き継がれることになるのだが、残った「ヒトガタ」の方が一体何者なのだろうか?たとえそれが強制であっても、「労働」という役割を奪われた人型ロボットはアイデンティティを失うことになる。

 アンドロイド(人型ロボット)が存在論的な問題を背負うのが、SFの中だけならばそういう映画を紹介するだけでも良いのだが、現実に開発されている状況でも問い掛けが存在する。それが技術的問題と分離してる訳でもないように思う。 

 石黒浩はアンドロイド開発者で有名な人だが、TEDで登壇している動画を幾つか観た。彼の話題も実存主義に近接していくことがよくあるのだが、専門的な工学的話題よりも一般的な聴衆には話しやすいのかもしれない。ただ、形而上学的な問題は終着点ではなく、彼のアンドロイド開発は社会的役割へと開かれていく。平田オリザと組んでアンドロイド演劇が上演されたりしているのだが、この先、俳優の役割がアンドロイドに奪われる可能性はあるのだろうか?

 

 18世紀の英国で起こったラッダイト運動では、失業を恐れた労働者が機械を破壊して回ったと言われているが、労働者が恐れたのは稼ぎがなくなることだけだろうか?役割を奪われて用済みになることは、アイデンティティの喪失を意味しなかっただろうか。現在も技術革新に反対する運動が起こっているが、最近物議をかもしているのはAI画像だ。

 コロラド州のデジタルアート品評会でAI画像が1位になったニュースが火をつけてしまった。実際、「Midjourney」を使って生み出された「作品」(と言っていいか分からないが)は、よく出来たしろものだと思う。もし、人の手で描かれたのだとした、普通に称賛だけで済んだのかもしれない。実際、あれだけの絵を描ける人はそうそういないと思う。

 使い手によって、作れる絵に差は生まれるだろうが、合成技術だけ見るならば、確かに可能性を感じられる。ただ、素直に喜べないのも確かだ。著作権の問題でしばらくもめるだろうし、訴訟沙汰に発展するケースもあるかもしれない。個人的には試してみたい気もするが、自分の作品として発表することは無いと思う。

 高機能な画像編集ソフトが登場してからこの方、絵を描く技術が人のスキルにのみ依存するでなくなってしまったし、それを否定する気もないのだが、絵を描くというアイデンティティが侵されと感じる人は少なくないと思う。おそらくAI画像が大量に出回ることによって、自殺する絵描きも出てくる。逆に絵作りのイメージを補完するのに上手く利用する絵描きも増えていくだろう。想像力のマンネリ化に梃入れするのには有効かもしれない。ここら辺は実際に使ってみないと分からない。

 

 ロボットの工学的なルーツという点では、18世紀のヨーロッパに多くつくられたオートマータを挙げても良い。日本でも独自にからくりを作る技術が発達していたので、面白い。TOSHIBAの創業者、田中久重が元々からくり人形を制作していたのだが、弓曳童子や文字書き人形の繊細な動きは、あの時代に造られたものとは信じがたい。鎖国していた江戸時代のことである。ヨーロッパのオートマータに関しては、ジャック・ド・ヴォーカンソンが有名だが、作られたものは人形ばかりでもない。

 一方、日本の場合、からくりは人形中心のような気がする。日本では欧米よりもロボットが受け入れられているとか言われることがあるが、これが神道の影響だという主張に関しては疑問がある。人形に魂を込める行為は、多神教的なアニミズムとは違うものじゃないだろうか。「ヒトガタ=形代」は呪術に属するようなものだと思う。

 「不気味の谷現象」を提唱したのも、日本のロボット工学者森正弘な訳だが、ロボットが人間に似ることで高まる親近感が、ある点を超えると急激に下降することをいう。ここで生じている生理的嫌悪や不安に関して色々説明はあるのだが、日本がロボットを簡単に受け入れているというが、ヒトガタに関しては、アンビヴァレントな側面が無いだろうか。個人的には、SOFTBAKNのペッパー君でさえ、気持ち悪くなる瞬間がある。

 

 確か、荒俣宏の著作で読んだエピソードなのだが、オートマータにせよ、からくり人形にせよ、「労働機械」のようなものではなく、興行や遊戯に属する。これに魅せられた人物でチャールズ・バベッジがいる。少年時代のバベッジが夢見たものが人間の代わり理知的な作業をやってのける機械人形。この夢はコンピュータという形で結実することになる。プログラムするコンピュータの生みの親バベッジ、その共同開発者が史上初のプログラマーと言われる女性エイダ・ラブレス

 エイダに関してはSFの題材に使われたりもしているが、面白いのが、詩人バイロンの娘だということ。バイロンといえば、メアリ・シェリーが『フランケンシュタイン』を生み出すきっかけをつくった人物である。エイダは幼い頃に父と別れることになったが、本人もメアリ・シェリーの友人だったらしい。

 ちなみに、フランケンシュタインも誤解されてきた存在だろう。これは人造人間の呼び名ではなく、生み出した博士の名前だ。ともかく、コンピュータが生み出された背景にオートマータと人造人間という「ヒトガタ」の影がチラつくのは何かしら宿命的なものを感じる。

 そういえば、Googleの会話AI「LaMDA」が意識を持ったと主張している社員がいて、ニュースになっていたけれど、どうせなら最初に意識が生まれるAIは、「Ada」であって欲しい。