Crypt Scrypt

monogoto

Log 0003 - Fiction

 久しぶりに小説を書いている。テクノロジーへの関心と不信が自分の中に同居しているのかもしれない。そんなことを考える話になりそう。短編のつもりで書き始めたが、どうなるかは何とも言えない。発表は特に考えていない。調べたり学んだことを何か創作に生かせればと思っていたので、初めて見た。ずっと使っていなかった筋肉を動かしているみたいで、少々疲れる。

 

 普段、小説はあまり読まない。ただ、フィクションの方が書きやすいこともある。近未来SFの類になりそうだが、センス・オブ・ワンダーよりも、今の世界に対する違和感や猜疑心が出てきてしまう。ひょっとしたら、誰か書いてるような内容なのかもしれないが、SFをほぼ読まないので、分からない。現在のTECHの延長から想像する未来と今自分が生きている「現在」を過去として意識しながら書く試み。あまり意識していなかったが、コロナ禍を自分なりに解釈し直すことになるかもしれない。

 

 感染症の流行が収まっても、それはもう以前とは違う世界だろうと思う。壊れたものや無くなったものは元に戻らない。関心がどうあれ、世界情勢に翻弄されるのは否めない。

 

 10月2日は、「国際非暴力デー」。マハトマ・ガンディーの生まれた日にちなんでいるらしい。他にも著名な人は生まれているが、星占いに疑問を感じる程度には、毎日バラエティーにとんでいる。良寛とガンディーの誕生日が同じであることに運命を感じる者は、ヒンデンブルクのことも一緒に考えた方が良い。

 

 テクノロジーが発展した先に暴力の消滅があるのかは、疑問を覚える。少なくとも自分が書いている話はあまり平和とは言えない。

 

Log 0002 - Obit

 アントニオ猪木が死去。特にプロレスに興味があったわけでもないのだが、キャラクターの濃い人だったから、印象には残ってる。闘病生活を送っているのは知っていたが、逞しかった人物が見る影もないほど瘦せ細っているのはやるせない。

 4年前の今日に死んだ父もそうだった。背丈が高いわけでもなかったが、がっしりした身体つきだった人が癌の進行で骨と皮のようになっていくのは、見るに忍びなかった。家で最期を看取れたのは良かったと思う。兄が帰省していた時だったので、タイミング的には悪くなかった。母も介護で疲れていたし、認知症に陥ることもなかったので、それは救いだったかもしれない。

 死ぬ前日だったか、立ち上がろうとして自分を呼んだが、己の足で立つのはやはり無理だった。「生きているのがもう嫌だ」と口にしていたと、母から聞いた。外をほっつき歩いていることが多かったので、好きに出歩けないのは辛かったのだろう。死ぬ数カ月前から一人で歩けなくなっていたから、車イスで出来るだけ外に連れ出してあげればよかったと思う。まあ、もう手遅れである。

 当時バイトをしていた会社で社員に誘われていたのだが、父の介護を考えると就活もしづらかったので、正社員になった。そして、就職したその日に父が亡くなった。安心したのかどうかは知らないが、眠るように息を引き取ったのは覚えている。「死の瞬間」を判別出来たわけではないが、二度と立ち上がれないと悟って、「生」を手放したのではないかと思う。「力尽きた」というより、その方がしっくりくる。惨めな寝たきり生活を送るくらいなら死んだ方がマシだと思ったのかもしれない。

 本人は長生きするつもりだったらしいが、胃潰瘍で何度か血を吐いているのに、不摂生な生活をしていたので、82歳まで生きられたのは決して早い死ではなかったと思う。普段は意識しないが、こうして書いていると、寂しい気持ちになる。

 

 訪問介護の仕事をしていた時、初めて行った家で、利用者の男性の具合が悪くなり送迎の予定が変更になった。そのまま亡くなったのだが、一緒に行った女性がオムツを替える時に嫌がっていたのが印象に残っている。恥ずかしく惨めな気持ちだったのだろう。もっと酷い状況の人も見てきたし、うまくできないことも沢山あったのだが、自分自身、一番辛い時期も経験することになった。

 心を病んでいたのだが、酷い時は一晩で数回金縛りにあった。睡眠中、自分の首を絞めたこともある。目覚めた瞬間、目の前に顔があったような気もするが、そこまでハッキリしてないので錯覚だったのかもしれない。とはいえ、当時の精神状態は、悪霊の実在を信じる気持ちと虚無感や猜疑心がごちゃ混ぜになっていたので、冷徹に突き放し見方をする気にもなれない。

 そもそも介護の仕事をしていると、おかしくなっている人など珍しくもない。自分自身、何かが引き金になっていたら、自殺しても不思議じゃなかった。介護の仕事をやっていたのも苦痛の種になっていた。限界を感じていたので、結局、やめることになったが、「死ねない」という気持ちに従うならば、賢明な判断だったと思う。

 

 時々、父が見守ってくれているのかどうか、考えることがあるが、正直よく分からない。それほど、信心深いわけでもない。心が弱ったり、病んでいると、スピリチュアルな事柄に吸い寄せられることもあるのだが、信仰と狂気の間に明確な線引きなどない。「信教の自由」は法概念だが、「自由思想」と信仰は基本的に相性が悪い。そして、人は理性の容れ物ではない。

 父が死後の生について、どう思っていたのか聞いたことが無いが、それほど懐疑的だったとは思わない。病的に信仰に嵌るようなことはなかったが、合理主義的な人ではなかったからだ。父については、そのうちまた触れるかもしれない。

 

 今日は何の日か調べる時、著名人の誕生日はチェックしているが、忌日までは調べてこなかった。単純に面倒だからそこまでやる気にならない。というのが理由ではない。死の意味がよく分からないからだ。そういえば、コロナ禍で若い女性の自殺率が増えているらしいが、絶対避けられない運命だったのか、考えてしまう。

 「忌日」という響きは穢れた印象を生んでてしまうが、本当に忌まわしいのは死ではなく、行き詰ってどうにもならない生である。苦しんだからこそ、生き直したいと思う。

Log 0001 - Restart

 他のブログを使っていたが、更新が滞り、誰も見ていないので、アカウントを消去。こちらを利用することにした。考察と備忘録にでも使おうと思う。カテゴリーは特に決めてない。

 意識的にライフスタイルを変える為に、日々の記録をつけているが、チェックシートが多くなり過ぎて億劫になることも多かったので、10月からもう少しシンプルにしようと思う。重要なのは何をするかであって、記録をつけることではない。

 

幾つかあるが、主に使っているのは

■月のスケジュール表

■日誌

■To Do List

■運動とヘルスケア

■体重管理帳

■食事の記録

■学習計画

■学習メモ

■動画視聴メモ

 

 他にもいくつかあるが、シートばかり増えていくと、それだけで余計な時間が増えてしまう。来年には3種類位に抑えられたら良いと思う。簡単な備忘録ならば、ブログでもよい。ブログにばかり時間を割いてもいられないが、すでにあるルーティンをうまく整理出来れば良いと思う。

 

 ToDoリストは日間用と別に汎用(継続式)を用意していたが、使い勝手が悪いので、一本に絞り、日間用は日誌に統合する。日々のルーティンをToDoに混ぜてしまうと、表記とレイアウトで迷いが生じる。実際、無駄も多かった。詳細は省くが、計画性に混乱が生じていた。

 

 体重は毎日、朝夕2回計測しているが、ここ一月節制が上手くいかなかったので、仕切り直す。食事制限だけだと、やはりリバウンドしやすいので、肉体づくりにフォーカスする。そもそも食べるのが好きなのであまり節制に意識を使いたくない。一月断食とかなら得るものもあるかもしれないが、もし、ダイエット本を書くならば、序文は、肥満体の偉人と即身仏とトンガの平均体重について言及するだろう。そうだな、表紙はジャコメッティの彫刻が良い。

 話がそれたが、節制よりも筋トレに力を入れる。そもそも筋肉の方が脂肪よりも重いから、体重が増える=肥満という訳でもない。脂肪遊戯より死亡遊戯

 体温と血圧も毎日計ってるが、重要という訳でもない。よほど高熱ならば、コロナを疑うかもしれないが、別に潔癖症という訳でもない。

 

 食事の記録は段々大雑把になってきているが、カロリー摂取を気を付けていれば、食事の内容だけで記録すれば良い。寧ろ、料理の記録でもつける方がマシな気がする。作ったことのないものを毎日一品でも作れば、経験になるだろう。

 

 学習にどれだけ比重が置けるかは好きに使える時間による。何もかも学んでいる余裕は無いので、計画的にフォーカスして学ぶことを決めようと思う。メモはもっと大量に残す。それらを整理してブログに反映出来れば尚良い。

 

 動画視聴に関して言えば、計画性が無いと行き当たりばったりに観るはめになる。大量のコンテンツは処理しきれないが、何を観たか記録をとってる。ただ、これも量が多くなると面倒なので、一日に視聴するYouTubeチャンネルなんかは絞ることにする。よく視聴するチャンネルもあるが、テーマを決めて検索してると知らない扉が開く。

 

 最近、取り入れたルーティンで気に入ってるものがある。その日あった歴史上の出来事や生まれた人物を調べるというもの。既存の知識に囚われやすい興味の在り方に梃入れ出来るようになる。時々、調べていることと結びついて、手持ちのカードが増えることがある。系統的な学習も大事だが、雑学好きに向いているルーティンかもしれない。

 

 とりあえず、これから、やりたいことが沢山ある。